バイオエコノミー市場規模はなぜ資料によって数字が違うのか
「バイオエコノミー市場は2030年に100兆円」という目標と、現状約60兆円という推計、単位すら異なるOECDの予測——なぜ数字が食い違うのか。定義範囲・地理的範囲・算定単位・現状か目標かという4つのシステム境界から、数字の読み方を整理します。
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「バイオエコノミー市場は2030年に100兆円規模」という数字を見た直後に、「OECDはバイオ産業市場を約200兆円と予測」という別の数字に出会うことがあります。同じテーマを扱っているはずなのに、なぜこれほど数字が違うのでしょうか。この記事では、どちらの数字が正しいかを判定するのではなく、数字の大小ではなく定義の範囲・地理的範囲・基準年・現状か目標かという4つのシステム境界を比較する読み方を整理します。
同じテーマで異なる数字が並ぶ実例
日本政府は、バイオエコノミー戦略において2030年に国内外で100兆円規模の市場創出をめざすとしています。この数字は、2019年の前身「バイオ戦略」時点で掲げられていた92兆円という目標から、海外市場等を見込んで更新されたものです。一方、現状のバイオマス関連市場の規模は約60兆円とみられています。
さらに視点を広げると、OECDが2009年に公表した報告書「The Bioeconomy to 2030」は、2030年時点でバイオテクノロジーが医薬品・診断分野の生産額の最大80%、農業生産額の約50%、化学品・工業製品の生産額の最大35%を占めるようになると予測しています。この予測は、日本政府の「◯兆円」という一つの合計金額ではなく、**各分野の生産額に占めるバイオテクノロジーの寄与率(%)**という、そもそも単位も算定方法も異なる指標で示されています。
「バイオエコノミー市場」という同じ言葉で語られていても、60兆円・92兆円・100兆円という金額ベースの数字と、OECDの寄与率(%)ベースの予測が並びます。これは誤りやごまかしではなく、それぞれの数字が異なる前提・異なる単位の上に立っているためです。
境界1:バイオエコノミーの定義範囲と算定単位
日本政府のバイオエコノミー戦略が掲げる5つの重点市場のうち、バイオものづくり・バイオ由来製品が53.3兆円、生活習慣改善・ヘルスケア・デジタルヘルスが33兆円とされ、残りは医療・創薬、農林水産、環境・エネルギー関連の分野に配分されています。一方、前述のOECD予測は2009年時点のものであり、対象6分野(農業・健康・工業・エネルギー・環境・安全保障)の切り方も、金額ではなく寄与率で示す算定単位も、日本政府の資料とは根本的に異なります。
「バイオエコノミー」に医療・創薬・ヘルスケアをどこまで含めるか、農林水産業の生産額そのものをどこまで含めるかという定義の範囲の違い、さらに金額で示すか寄与率で示すかという算定単位の違いだけで、数字は比較不能になります。数字を比較する前に、その資料が何を「バイオエコノミー」に含め、どの単位で算定しているかを確認する必要があります。
境界2:地理的範囲
日本政府の100兆円目標は「国内外」、つまり日本企業が海外で獲得する売上も含んだ数字です。これに対し、現状の60兆円という数字は国内市場を指しているとみられます。OECDの予測は加盟国全体を対象にしたものであり、日本一国の数字とは前提が異なります。「日本の目標」と「OECD加盟国全体の予測」を並べて比較すること自体が、そもそも成立しない場合があります。
現状の実績か、将来の目標か
約60兆円という数字は現状の市場規模の推計であり、100兆円という数字もOECDの予測も2030年時点の目標・予測です。政策目標として掲げられた数字は、それが達成される保証を意味しません。日本のバイオエコノミー政策目標は、産業・市場形成とどこまで接続しているかで確認した通り、100兆円という目標を支える予算の採択実績は、枠の1割程度にとどまっています。目標の数字と、その目標を裏付ける実行の進捗は、分けて確認する必要があります。
境界4:基準年と算定方法
92兆円から100兆円への更新のように、同じ「日本政府のバイオエコノミー市場規模目標」であっても、算定した年によって数字が変わります。名目値(その時点の価格水準で計算した金額)か実質値(物価変動を除いた金額)かという算定方法の違いも、資料によって明記されていたりいなかったりします。基準年・算定方法が異なる数字を並べて増減を論じることも、前提が揃っていなければ意味を持ちません。
2026年7月に加わった新しい数字——「何を測った数字か」も揃える
ここまでの4つの境界に加えて、もう一つ確認したい点があります。2026年7月21日に決定された政府の「日本成長戦略」と、その「官民投資ロードマップ」には、バイオものづくりについて4つの新しい数字が並んでいます。
- 約165兆円:バイオ産業がもたらす経済効果(2030〜2040年、ホワイトバイオ分野のみ)。2020年のマッキンゼー・グローバル・インスティテュートの分析を元に、経済産業省が1ドル150円で計算したものと注記されています
- 11.9兆円:2040年の日本企業の売上(合計)の目標(グローバルシェア10%)
- 12.8兆円:2040年度までの官民投資額の想定
- 66.7兆円:その投資による経済波及効果の想定
これらは、本稿の冒頭で見た「100兆円(2030年に国内外で創出をめざす市場規模)」と同じ言葉で語られることがありますが、測っているものが違います。 経済効果は市場規模ではなく、企業売上の目標は市場全体ではなく日本企業が取る分だけ、投資額はそもそも売上や市場ではありません。定義範囲・地理的範囲・時点・基準年をそろえても、「市場規模」「企業売上」「経済効果」「投資額」という指標の種類が違えば、数字は比べられません。
新しい数字を見たときは、「何を測った数字か」を最初に確認します。たとえば「165兆円」と「11.9兆円」を並べて「日本は世界の7%しか取れない」と読むのは、経済効果(世界・ホワイトバイオのみ)と企業売上(日本企業・バイオものづくり)という異なる指標を割っているだけで、政府が示した意味とは違います。なお、この戦略は「バイオエコノミー戦略も踏まえながら」進めるとしており、本稿で扱った2030年100兆円の目標が今後どう扱われるかは、確認した範囲では記載がありません。個別の目標と実績の距離は日本のバイオエコノミー政策目標は、産業・市場形成とどこまで接続しているかで確認しています。
政策目標と実際の市場は別物
ここまでの4つの境界(定義範囲・地理的範囲・現状か目標か・基準年)を確認すると分かるのは、「バイオエコノミー市場規模」という一つの言葉の裏に、実際には比較不能ないくつもの異なる数字が存在するという事実です。特に重要なのは、政策が掲げる市場規模の目標値と、実際に存在する市場規模は別物だということです。目標の数字が大きいことは、その市場がすでに存在することを意味しません。
まとめ
「バイオエコノミー市場は◯兆円」という数字を見たときは、その数字がどの定義範囲・地理的範囲・時点(現状か目標か)・基準年に基づくのかを確認することが、数字そのものを覚えることより重要です。異なる前提の数字を並べて大小を論じても、実態の理解にはつながりません。政策目標の数字と、実際に形成されている市場の実態は、常に分けて読む必要があります。
参照資料
- 内閣府 統合イノベーション戦略推進会議.「バイオエコノミー戦略」(令和6年6月3日決定). cao.go.jp
- 日本経済新聞.「バイオマス市場100兆円規模目標 30年めど」. nikkei.com
- 内閣官房 日本成長戦略本部.「日本成長戦略」(令和8年7月21日閣議決定)、「戦略17分野における『主要な製品・技術等』の官民投資ロードマップ」(同日日本成長戦略本部決定)。政府自身の目標・想定を記した文書. cas.go.jp
- OECD.「The Bioeconomy to 2030: Designing a Policy Agenda」(2009年)