発酵槽が動いても、ボトルネックは別の場所へ移る
「○Lへスケールアップ成功」「商用設備が完成」という発表を見て、事業化が近いと判断する前に確認すべきことがあります。発酵で目的物質ができることと、それを安定・採算的に届けられることの間で、制約がどこへ移動するのかを構造から読み解きます。
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「実験室の培養を1,000Lへスケールアップ成功」「商用発酵設備が完成」——バイオものづくり関連の発表では、こうした言葉をよく見かけます。ここで確認すべきは、発表が事実かどうかだけではありません。その発表が、事業化に向けたどの制約を解決し、次にどの制約が残っているかです。この記事では、発酵槽の中で起きることが、なぜ商業化の全体像を説明しないのかを構造から整理します。
「スケールアップ成功」は何を証明しているのか
微生物を使って目的の物質を作る技術は、まず数リットル規模の実験室で確認されます。次に数十〜数百リットルのパイロット規模、そして商用を見据えた規模へと、段階的に拡大されていきます。この各段階の移行をスケールアップと呼びます。
「スケールアップに成功した」という発表は、多くの場合、より大きな発酵槽で目的物質が確認できたという事実を示しています。これ自体は重要な進展です。ただし、この発表だけでは、その物質を安定した品質で、必要な量、採算の合う価格で作り続けられるかどうかは分かりません。「発酵槽の中でできること」と「事業として届けられること」の間には、いくつもの別の関門があるためです。
なぜ大きな槽では同じ条件を再現できないのか
実験室のフラスコや小型の発酵槽で最適だった条件が、大きな槽でもそのまま機能するとは限りません。その理由は、槽を大きくすると、体積に対する表面積の比率(表面積/体積比)が小さくなるためです。
業界誌BioProcess Internationalの解説によると、幾何学的な相似形を保ったまま槽を大型化すると、この表面積/体積比が大きく低下します。その結果、槽内の液を均一に混ぜるのにかかる時間(混合時間)は、単位体積あたりの動力を一定に保つ設計であっても、約3倍に伸びるとされています。また、酸素は水に溶けにくい性質を持つため、表面積の低下は酸素の溶け込みにも影響し、逆に二酸化炭素が槽内に蓄積しやすくなることで、微生物の周囲のpHや浸透圧が変化しやすくなるとも指摘されています。
同解説は、この変化を「実験室規模では微生物自体の反応速度が律速だった状態から、大規模では物質の移動(酸素供給や混合)が律速する状態へ移る」と整理しています。つまり、スケールアップとは単に容器を大きくすることではなく、律速要因そのものが入れ替わる現象だということです。実験室で最適化した培養条件は、この入れ替わりを踏まえて作り直す必要があります。
制約は後工程へ移る
発酵槽の中で目的物質ができたとしても、それは発酵液という混合物の中に含まれているにすぎません。ここから目的物質だけを取り出す工程を後工程(ダウンストリーム処理)と呼び、分離・精製・濃縮・乾燥などが含まれます。
バイオテクノロジー領域の投資分析を手がけるSynthesis Capitalの分析によると、医薬品級の高純度が求められる物質では、発酵液から目的物質を取り出す工程だけで製造コストの最大85%を占めることがあるとされています。食品用途であれば要求される純度は医薬品ほど高くありませんが、それでも精製工程の効率化は、回収率とコストの両方に直結する要素です。同分析はまた、発酵の原料(フィードストック)にかかるコストも、最終製品1kgあたりの総コストの半分を優に超えることがあると指摘しています。
つまり、「発酵に成功した」という報道が注目しがちな発酵槽そのものは、コスト構造の一部でしかありません。後工程の設計を後回しにしたまま発酵条件だけを最適化しても、事業化の壁は解消しないということです。
商業化に向けて、制約はさらに移り続ける
後工程を乗り越えても、制約は移動を止めません。実際の商業設備では、次のような問いが順に現れます。設備の処理能力(ネームプレート容量)と、実際にその能力で稼働できている量(実生産量)は一致しているか。品質を安定して満たし続けられるか。原料を必要な量、継続的に調達できるか。そして、その製品を求める買い手が実際に存在し、価格・数量・品質条件について契約を結べているか。
これらは、技術的な達成とは別の種類の証拠を必要とします。「商用設備が完成した」という発表は、稼働開始の証拠であって、安定稼働・顧客との継続契約・採算という、その先の証拠を意味しません。技術発表を読む際にどこまでが事実でどこからが期待かを見分ける一般的な視点は、「実証事業」を「商用実績」のように読んでしまう典型パターンで扱っていますが、発酵・バイオものづくりの場合は、この一般論に加えて、後工程・原料・顧客仕様という工程固有の関門があることが、ここまで見てきた構造です。
欧州で見えること——強い工程と、次に移った制約
この「制約が移動する」という構造は、個別企業の技術開発だけでなく、地域全体の産業基盤としても見ることができます。
欧州対外関係評議会(ECFR)の分析によると、欧州は精密発酵の実証・パイロット規模の生産能力で米国の2倍を持ち、実証・準工業・パイロット規模の施設が479か所、バイオリファイナリー施設が2,362か所存在するとされています。研究からパイロット規模までの基盤は、欧州が強みを持つ領域だということです。
ところが同分析は、欧州が抱える次の制約は、研究や実証の不足ではなく、商業規模の製造能力の不足にあると指摘しています。パイロット規模までは欧州内で完結できても、それを事業化する段階になると、欧州企業は中国の製造インフラに依存せざるを得ない場面が増えているとされ、これは知的財産が製造とともに域外へ流出するリスクとして論じられています。同分析が提言する対応策も、規制認可の迅速化(新規食品の承認に現状約2.5年かかるとされる)、欧州投資銀行(EIB)等による投資リスクの軽減、商業規模の製造インフラへの直接投資など、パイロットより先の段階に集中しています。実際、欧州のパイロット拠点の一つであるBio Base Europe Pilot Plantは2024年に3,400万ユーロを投じて75,000リットルの発酵槽を稼働させ、全体の発酵能力を3倍に拡大しました。これも「パイロット規模の拡張」という、次の制約に対応する動きだと読めます。
つまり欧州の事例は、「欧州は進んでいて日本は遅れている」という単純な構図では説明できません。研究・パイロットという一つの関門を越えた地域が、次に商業規模の製造能力という別の関門に直面している、という「制約の移動」がここでも起きています。
日本の位置——実証インフラへの投資と、まだ分からないこと
日本でも、スケールアップという関門そのものに対応するインフラ整備が進められています。新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)は、千葉県茂原市に関東圏バイオファウンドリ拠点を整備し、0.25リットルから最大3,000リットルまでの発酵槽を用いてスケールアップの検討ができる体制を構築しました。同拠点の発表によると、実験計画法やスケールダウンモデル、数値流体力学(CFD)解析を組み合わせた手法により、従来は3年程度かかると考えられていたスケールアップの検討期間を、約6分の1にあたる半年程度まで短縮できたとされています。
これは、スケールアップが勘や経験だけに頼る工程ではなく、工学的な手法で意図的に短縮できる関門であることを示す具体例です。同時に、この拠点の規模(最大3,000リットル)は、欧州のBio Base Europe Pilot Plantが到達した75,000リットルとは一桁以上異なります。この規模の違いが実際の商業化競争にどう影響するか、また日本国内に精密発酵・バイオものづくり特化のCDMO(受託製造)能力がどの程度整備されているかについては、今回の調査で確認できる範囲を超えています。
なお、日本には再生医療・細胞医療領域のCDMO整備を対象にした補助金の前例がありますが、これは対象が細胞治療製品であり、発酵ベースのバイオものづくりとは製造方式が異なります。発酵・微生物産業に特化した同等規模の政策的支援があるかどうかは、今回確認できませんでした。
また、日本には酒・味噌・醤油などの伝統的な発酵文化がありますが、これが現代のバイオものづくりにそのまま強みとして接続するとは限りません。使用する菌株、求められる品質基準(医薬品・食品添加物としての規格)、必要な精製度、想定する顧客産業は、伝統的発酵とは大きく異なります。「発酵文化があるから強い」と短絡せず、どの部分に連続性があり、どの部分が別の技術・設備・人材を必要とするのかを、個別に確認する必要があります。
まとめ
発酵槽で目的物質ができることは、バイオものづくりが乗り越えるべき関門の一つにすぎません。スケールアップでは律速要因が反応速度から物質移動へ入れ替わり、後工程では発酵液から目的物質を取り出すコストが総コストの大部分を占めることがあり、その先には原料調達・品質安定・顧客契約という別の関門が続きます。制約は固定された一箇所にあるのではなく、一つを越えるたびに次の場所へ移動します。
次に「発酵に成功した」「スケールアップに成功した」「商用設備が完成した」という発表を見たときは、次の3つを自問することをお勧めします。今回の発表は、どの関門を越えたと証明しているのか。次に控えている制約は何か。そして、その次の制約について、現時点でどんな証拠が示されているか、あるいは示されていないか。この問いを持つことが、技術発表と事業化の間にある距離を見誤らないための出発点になります。
参照資料
- BioProcess International, Lessons in Bioreactor Scale-Up, Part 1 — Exploring Introductory Principles
- Synthesis Capital, Precision Fermentation: Pathways to Cost Parity
- European Council on Foreign Relations, The future is fermented: How Europe can succeed in the next industrial race
- SynBioBeta, Bio Base Europe Pilot Plant Launches 75,000 L Fermenter to Meet Bioeconomy Demands
- NEDO, 関東圏バイオファウンドリ拠点でバイオ生産のスケールアップ検討期間を従来の約6分の1へ短縮